命を考える。生後600日
こんばんは!
お約束の~~~ケーキ登場(笑)
生後600日です(笑)
で、母がケーキ食べたかっただけなのはバレバレですね(^_^;)
朝からおしり拭きが散々な目に、、、( ̄▽ ̄;)
今日はちょっと長めに独り言なので、興味の無い方はスルーして下さいませ(^_^;)
たまぁ~~~に考える出生前診断について。
ニュースや、何かの記事で見たりするととても考えさせられます。
私は、賛成でも反対でも有りません。
でも、、、その医学必要か?と聞かれれば、私が生きている間はまだ研究されてなければ良かったのに、、、とは思ってしまいます。
あれば使いたい人が居る。
なければ誰もやらないこと。
皆は選択肢が多い世の中で暮らすのは、結構しんどいと思うことは無いのかな?
近い未来「何で検査しなかったの?」や「分かってて生んだの?」の質問に鉄の心で答えられるか?が不安です。
そして悔しい思いもすることでしょう。
まぁ、実際「分かってて生んだの?」は既に言われた事ありますが、、、。
この世に姫さんが存在する限り、分かってて生んだとしても、知らずに生んだとしても、もはや必要の無い質問だと思うのは私だけかな?
だって、そこから始まる会話に未来を感じないし。
ご存知の方も多いでしょうが、ダウン症のある赤ちゃんってお母さんのお腹に宿ってから無事に出産まで辿り着けるのって20%と言われているんです。(堕胎除く)
残りの80%のお仲間さんはもう一度お空に帰るんです。
当たり前だけど、命って、、、尊いなと。
必死でママのお腹にしがみついて、一生懸命育った2割がやっとこの世に生まれて来れるんですよね。
その20%の命について、生むか?生まないか?の議論をお腹の子の前で繰り広げる、、、。何だか複雑です。
でも、それは私がダウン症の姫さんを産んで育てているからそう思う事で、実際我が子を見ていなければ、出産前に自信をもって『産む‼』って言えるのか?と言うと、う~~~ん、、、なのです。
ただ、毎回この議論で勝手に涙が出るのは私だけ?
定型の人類しかこの世には必要が無いのかな?
姫さんは世に必要の無い人間なのだろうか?
そんな訳無いのは私にとっては当たり前だけど、この手のニュースを見るたびに、やっぱり娘の命を否定されている気持ちにはなってしまう。
そして、悲しくて、悔しくて、やるせない気持ちになる。
診断を受けた人に産んで欲しいとは言わないし、言えないけど、多分私はきっと、産まない選択をした人達にも、ダウン症でも大事な命、産んで良い命だとしっかり認識してから選択をして欲しいと思っているだけなんだと思う。
良くわからない恐怖のまま堕胎を選択して欲しくない。
イメージだと
育てるの大変
顔が特徴的
知的障がい
障がい者
とかかな???
大事なことが飛ぶんだよね、、、。
『我が子』
『私の子』
ダウン症であろうが、別の障がいがあろうが、健常であろうが、自分に似た我が子が産まれてくるんだよね。ここが、きっと診断のショックで飛ぶ瞬間が多かれ少なかれある。私も出産直後はそうでした。
出生前診断を受けるのなら、ダウン症の我が子の顔を想像するのでは無く、我が子の顔を想像してそれからダウン症について考えてみても遅くないのでは?
なんてね。なが~~~い独り言でした。
しつこいですが、私はダウン症の診断を受けた人に産んで欲しいとお願いしている訳では有りません。
単純に姫さんの命を否定しないで欲しいと願っているだけです。
親バカ母が娘を大事に思っているぜ!って内容が異様に長文になっただけです(笑)
ただの独り言。
読んでくださった方、お付き合いありがとうございました!
姫さんの寝相をご覧頂き、おやすみなさ~い!
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