インクルーシブには…。
こんばんは!
今日も元気でした♪
七夕の願い事記入中。
皆さんはインクルーシブ教育とか、インクルージョンとか、耳にしたこと有りますかね?
簡単な意味としては…
↓↓↓
インクルーシブ教育(インクルーシブきょういく、英語: Inclusive Education)とは、人間の多様性の尊重等を強化し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み。インクルージョン教育と呼ばれることもある。
(Wikipediaより抜粋)
これ、こんな簡単に単純にまとめられないぐらい複雑なものなんですが…。
私達のもっともっと先輩方が頑張って下さったおかげで、障がい者と呼ばれる人々も平等にという社会が開けてきているのだけど、まだまだ課題は山積み。
今、世界で黒人が…とか白人が…とか騒がれているのと同じで…
健常者、障がい者というネーミングがある今の時代だとやっぱりいきなり混ぜるのは難しい。
白と黒を一気に混ぜてグレーにはなれなくて、黒い方は段々に白に向かって、白い方は段々に黒に向かって進んでいって…
気付いたら同じ色だったという過程が必要なのかな…と思う。
分ける
混ぜる
という極端なものじゃなく、あやふやな時期が必要で、きっと今はまだそのあやふやな時期に入ろうとしているところなんじゃないかな?なんて個人的には思っています。
健常者、障がい者と言っている時代にはやはりどこまで混ぜ込んでも境が見えないほどに混ざることはないし、そんな風な整備も整っていない。
結局何処かに歪みが生まれる。
その歪みが何処に生まれるか?と言うと、大体が当事者たちに生まれる。
障がい者や障がい児の保護者でも今の時代意見が分かれる。
分け隔てなく教育に混ざりたい、混ぜたい。
分けて本人の環境に合わせて過ごしたい、過ごさせたい。
それはきっとどちらの意見も正しくて、それはやはりそういう時代なんだろうと思う。
時代は進んでいて、一昔前なら障がい者は積極的には外に出られないという悲しい時代が有ったのも事実。
その時代から思えば考えられないほど、多くの障がいのある方々が外に出て活躍している。
それもたった数十年時代が進んだだけの事。
多くの根強い教育の歴史がまだまだ残っている今、優勢思考はまだまだ残っている。
黒は段々に白に向かい
白は段々に黒に向かって進んではいるけれど、まだまだ焦ってはいけないなと…
まだまだ心の壁が残っている中、全てを一気に混ぜるのは危険すぎる。
ただ傷を残すだけになる。
ただ悲しみを生み出すことになる。
分けること、混ぜること、
どちらも善でもなく悪でもないと私は思う。
どちらも、その精神に乗っ取ってうまく機能しているのならそれがベストなのかもしれない。
インクルーシブは心の壁、分ける言葉自体が自然に消えていったとき、初めてしっかりとした機能を持ち合わせるんじゃないかな?と思った今日この頃…。
ただの独り言ですよ(^_^;)
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