震災から8年
こんばんは!
最近は夜寝るのが遅いです(^_^;)
寝かし付けないからですかね?
そもそも寝かし付け文化の無い姫さん。
寝かし付けようとすると逆に楽しくて興奮してしまうので、セルフで寝てもらってます(^_^;)
2011年3月11日午後2時46分
多分日本中が言葉を失ったあの日。
当時私は千葉県の太平洋海沿いに住んでいました。
ニュースには出ない程度の津波が来ました。
震源地からは離れていたけれど、地球がグニャリと曲がったような生まれて初めての感覚でした。
当時働いていた会社は、従業員6名の小さなネットの古着屋さんでした。
いつもつけているラジオが全く入らなくなったと思ったら、復旧して流れてきたのは東電、津波、火災、あちこちの情報。
何が本当で、何が嘘か?
あちこちでパニックが起き、店からあらゆる食品、水、防災グッズが消え、ガソリンスタンドには長い列。
電話も繋がらず、電車も止まり、帰宅難民者がぞろぞろ街を歩き、停電で信号機も消え、次から次へ緊急地震速報のアラームが鳴り続いた。
毎日テレビから流れる映像は津波と東電。
計画停電というはじめて聞く言葉。
被爆を恐れて西日本に避難した人も居ました。
本当に東日本はパニックでした。
あれから8年。
絶対に忘れてはいけない。
語り継がねばならない。
揺れたら直ぐに高台へ避難してと。
絶対に逃げてと。
あの日、揺れで亡くなられた方はそこまで多くなかったでしょう。
津波さえ来なければ、、、
津波さえ来なければ、、、
助かった命は沢山あったでしょう。
忘れてはいけない。
2011年3月11日のあの日。
ずっと語り継ぐことも、経験した私達の使命。
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